【 一編小説】松屋の女性

「いらっしゃいませー」

特に元気もない挨拶に招かれ松屋の自動ドアをくぐる。時刻は22時を過ぎている。仕事が終わらず帰宅がこんな時間になってしまった。全く、作業分担のバランスが悪いからこんなことになってしまうのだ。ここ数カ月で自宅で筋トレを始めたおかげで筋肉がついてきたのに、今から煩悩と炭水化物の塊である牛めしを食べようとしている。おかげでお腹周りが一向に痩せない。痩せないならまだしも肥大化しているような気配すらある。若いころは「こうはなりたくないなぁ」と思っていた小太り中年に自分がなろうとしている。気が付けば30歳も折り返し地点だ。

券売機の前で一瞬「ミニ」にしようか迷ったがここはいつものように「並」を選ぶことにした。多少抵抗をしたところで何もかわらない。僕の食べ方は牛めしが半分くらいなくなったころにポン酢をかけるのだが、ミニにしてしまうとそのバランスが崩れてしまう。そのための並だ。そう自分に言い聞かせて食券を手にカウンター席に着く。「並いっちょー」相変わらず元気のない店員がマニュアル通り注文を読み上げる。この店員、マスクが黒い。

ふと気が付くと通路を挟んだ向かい側のカウンター席に女性が座っていた。いまどき若い女性が一人で牛丼屋に入るのも珍しくなくなってきたが、なぜこんな遅い時間に。しかもここは北海道一の歓楽街「すすきの」のど真ん中だ。年齢は20代半ばくらいだろうか。クリーム色のシャツの上に黒いスーツをぴしっと着ている。肩の上くらいまである髪はうっすら茶色いが落ち着いていて清潔感がある。小さなショルダーバックと小さいリュックくらいの鞄を持っている。スーツの着こなしから新卒ではない。なぜと言われれば困ってしまうが、数年は社会にもまれている雰囲気がある。やわらかい印象とは裏腹にしっかりと牛めし(と味噌汁)を食べているのが逆に違和感があった。

店員が2名いる以外に店の中には僕と女性しか客はいない。牛丼屋は回転率が大切なので僕の牛めしもすぐにやってくるだろう。その少しの時間だけど、なぜこの女性がこんな時間に1人で牛めしを食べているのか考えてみることにした。

 

まず考えられるのは「出張で札幌に来た」という予想だ。出発が遅くなったのか、到着が遅くなったのかはわからないが、こんな時間になってしまった。そのため仕方なく松屋にきたというのはどうだろう?ショルダーバックの他にリュックほどのバッグを持っているのも重要な根拠だ。周りはビジネスホテルも多いし女性から出ている仕事ができそうなオーラもポイントが高い。なんだ簡単な予想ではないか。

しかし本当に出張なのだろうか?女性の出張であればもう少し大きい鞄が必要なのではないか?例え一泊だとしてもキャリーバックくらいの鞄があってもおかしくないはずだろうか。今流行りのミニマリストなのだろうか?それともホテルに置いてきたのか?いや、それであれば二つも鞄を持ち歩く理由が見つからない。鞄の数からしてこれからチェックインというのが自然ではないだろうか。

それとなぜ松屋なのか。松屋の隣のビルにはミスドもあるし、100m以内にはラーメン共和国やみよしのといった北海道ならではのご当地店が数多くある(もちろんまだ営業中だ)。時間がなかったとしてもせっかく北海道にきたのであればそっちを優先しないだろうか?なにせここはすすきのだ。この時間では逆に閉まっている店を見つけるほうが難しい。うーむ。

 

次に考えられるのが僕と同じように仕事帰りというものだ。ちょっとしたイベントをやってきてその帰りだから多少荷物を持っている。帰ってご飯を作るのも面倒だから松屋でちゃちゃっと済まそうと言う予想だ。出張よりはこっちのほうが可能性があるかもしれない。でもなぜだろう。なんとなくだが仕事帰りの感じない。仕事帰りの割にはスーツがピシッとしているし女性の表情からも疲れが感じない。どっちかというとちょっとわくわくしてそうな表情なのだ。単に松屋の牛めしが好きだから入っただけなのだろうか…。

 

「牛めし並です」

そうこうしているうちに僕の牛めしがやってきた。とりあえず考えるのはいったん止めよう。温かいうちに食べなければならない。

「ご馳走様です」

紅ショウガをとろうと手を伸ばした時だった。女性が店員さんによく通る声で挨拶し、席を立った。颯爽と立ち上がる姿はどこか自信にあふれている。きびきびと歩き、そしてすすきのの街へ消えていった。

ご馳走様です…。なんて礼儀の正しい女性なんだろう。昼間は我先にと席の取り合いをしてサラリーマンやら学生やらがむしゃむしゃと牛めしをほおばっている松屋で(褒め言葉)こんなにさわやかなことはあるだろうか。なぜか自分の牛めしまで美味しく感じる…。

 

外に出ると少し雨が降っていた。先週までの暑さが嘘のように夜は肌寒くなってきた。これくらいどうってことないぜと言わんばかりにキャッチの声があちこちで響いている。ちょっと妖艶な服を着た女性。頭がとんがっている兄ちゃん。カラオケ、居酒屋のキャッチ。タクシーの列とキラキラした街頭。「ご馳走様です」といったあの女性が無事帰路に着いたことだけを願い、僕は地下鉄の改札を通り過ぎた。

 

※この物語はフィクションです。

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